君の夢を観よう

一刻一刻が小さな宝石のようでした

推しと出逢ったわたしのはなし

推しと出逢って、私は確実に変わったと思う。
別に「立派に生きられるようになった」とか、そういうわけではないけれど。


推しと出逢う少し前の私は、同じ毎日を繰り返すだけで、それこそ水を飲むように味気なく、ただただ仕事に忙殺されるだけだった。
夢も希望も絶望もなかったけれど、生きるために仕方なく働いている感覚がほとんどを占めていて、精神的にもまあまあ限界が近かったし、いま考えるとすべてが壊れる寸前までいっていたと思う。

世の中に対してのあらゆる関心が薄れていく日々のなかで、そんな時ふととあるメロディが頭を過った。


「人は誰でも、生きた証残していく」


昔大好きだった、ミュージカルの曲の一節。
何度も何度も、繰り返し歌ったはずのその歌。
「ああ、だいすきだったなあ」と、懐かしさから約10年ぶりにそのDVDを手に取った。
そこには、それこそ私の今の年齢と変わらないであろうキャストが、舞台の上でキャラクターを生かす姿にひどく心を打たれた。
そして、初めて知ったときからずっと好きだったキャラクターが変わらずに画面の中で輝いていた。
昔とひとつだけ違ったのは、キャラクターよりも「演じている人」が魅力的に見えたこと。
その中でも、画面に映る度に目で追いかけて、その人が台詞を口から発する度に心が高鳴って仕方がない人が一人だけいた。


「この人のお芝居がもっと観たい」
そんな思いから、出演しているDVDを買い漁り、一目でも観られるならばとイベントにも足を運んだ。
観れば観るほどに「この人も、この人を取り巻くものも、すべてがすき」そんな感情しか沸いてこなかった。
なにより、誰かを好きでいて誰かを応援していると、こんなにも毎日が明るく楽しくなるものかと驚いたし、その気持ちはいまも変わってはいない。
大げさかもしれないけれど、私がいまもこうして人の形を保っていられるのもきっと、推しがずっと舞台に立ち続けてくれているからなのだと思った。



推しと、推しが所属するユニットのメンバーが2人だけで作るショーがあった。
ダンスも芝居も、すべてを全力でやるというもの。


暗転した舞台に光が差して浮かび上がった姿も、同時に感じた得も言われぬ感覚も、いまでも昨日のことのように思い出す。


BGMがサビに入った瞬間に、それまでの真剣な表情から一転してとびっきりの笑顔になった瞬間「ああ、どうしてもすきだな」と強く感じた。
この人は、観客からの拍手や歓声を一身に受けられて、受けたうえで舞台に立てる人なのだと改めて気付かされた。
でもそれは当たり前のことなんかではなくて、推しが今まで全身全霊をかけて作り上げてきたものがあるからで、笑顔の裏に隠されたものを私は知ることができない。
だからこそ、いつだって推しが届けてくれる一瞬一瞬を逃さずすべてを受け止めていたいし、そうしていられることが最大の幸せなのだと思った。


これほど毎日が満たされていたことは本当になくて、公演最終日には終わってしまう寂しさよりも「こんなに幸せでいいのかな」という思いが大きすぎて、幕が上がった直後、文字通り間もなく涙が溢れていた。
それは拭っても拭っても決して止まることはなくて、笑えるような場面も胸がぎゅっと締め付けられるような場面も泣き通しだった。


どうしてこんなに涙が止まらないのか自分でもよく分からなかったけれど、ひとつだけ言えるのは、もらった幸せが大きすぎて嬉しすぎて、そんな感情が出どころで涙を流してしまうのはきっと、後にも先にも推ししかいないんだろうなあと思う。



推しは、私に夢と希望を与えてくれた人であり、人生を変えてくれた人。


きっと私の人生はどこまでも平坦で、波風たたない普通の人生を生きていくのだろうなと、どこかで気が付いている。
それでも推しがいてくれるなら、推しがこの先もずっと舞台に立ち続けてくれるなら、それだけで手の中になにも持っていなかった頃とは比べものにならないくらい幸せでいられるのだと思う。


いまは、推しがどこへ進んでいくのかをずっと見ていたいと思うし、推しがきっと持っているであろう目標とか夢とかがすべて叶えばいいなと思う。



「推しがずっと、輝いていられますように。」



そんな日がくることが、私の夢なのかもしれない。